小田急線の「向ヶ丘遊園駅」は、新宿から15キロほどの場所にある小田急線の駅。
小田急の特急列車であるロマンスカーも止まり、地下鉄千代田線やJR常磐線の乗り入れもされている駅です。
名前の通り、かつてこの場所には遊園地がありました。
「向ヶ丘遊園」の開園は昭和2年ととても歴史が長く、戦前に駅から遊園地まで豆汽車が走るなど、古くから地域の人たちを楽しませていました。
その後は空中ケーブルカーやモノレール、観覧車、屋外エスカレーターなど、当時としてはまだ珍しい設備も含めてさまざまなものが登場し、神奈川の遊園地を代表する一つへとなっていきました。
また、白鳥のボートや水中に飛び込むジェットコースター、ゴーカートなど、昭和の遊園地を象徴するようなおなじみの遊具も多数設置されていました。
また、隣接する「向ヶ丘遊園バラ園」では、毎年きれいな花を見ることができ、大人も子供も楽しめるスポットとなっていたのです。
そんな向ヶ丘遊園ですが、2000年にモノレールが営業を停止、遊園地も2002年に閉園となってしまいました。
しかし、その跡地の一部はしっかりと市民に受け継がれ、市民の手によって「生田緑地ばら苑」して現在も守られています。
生田緑地ばら苑は入場無料で春と秋の花のシーズンにたくさんの花を楽しむことができますよ。
バラ園として現在公開されているのは、向ヶ丘遊園時代にもバラ園となっていたエリアが中心ですが、その他の場所はどうなっているのでしょうか?
じつは、向ヶ丘遊園の跡地はあの有名は「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」として多くの人が訪れる人気スポットに生まれ変わっているのです。
なぜこの場所がミュージアムになったかというと、「ドラえもん」や「パーマン」などの作者である藤子・F・不二雄氏が、長年この川崎市で暮らしていたからなのです。
そして、藤子・F・不二雄の死去後、遺族から川崎市に原画などの公開をしたいという申し出があったことをきっかけにミュージアムの計画がスタートしたのだそうです。
オープン直後は予約しないと入ることができないほどの人気ぶりだったこの施設。
かつて、向ヶ丘遊園で遊んだ記憶をもつ人が大人になり、自分の子どもと一緒にミュージアムとなった同じ場所を訪れる・・・なんていうケースもあるのではないでしょうか。
昔も今も子供の夢を支える場所である向ヶ丘遊園。
ロマンスカーを使えば、都内からもあっという間の場所なので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。